慢性疲労に無自覚 特に男性 あさの治療院 札幌の鍼灸
男性の疲労の感受性が鈍い例
良い体調と思っていないけど特別わるいとも思っていないのが男性の良くあるパターンで仕事に行けるか行けないかが体調の基準ラインになっています。
何も感じていないわけでは無いのですが大ごととは認識していない。
シンドイけどヤバイとは思っていない状態なのでヤバイ状況でも無理すれば何とか頑張ってしまう。
ですが病気でなくても疲労の極みになると様々な症状が出ます。
例えば目眩で立てなくなったり激しい頭痛や耳鳴りが起きたり吐き気や嘔吐などのケースもあります。
流石にこれ位の症状までいくと病院や治療院に行って何とかしようとしますが少しでも症状が軽くなると懲りずに休まず働きます。
充分な休息を取った訳では無いのですが過労の極みから少しだけ回復すると不具合を感じていても何とか動けるものです。
なので病気で無いなら休む理由には為らない、じゃあガンバルかとなる訳です。
ここで問題をややこしくする要素があります。
人は良い悪いに関係なく一気に変わる時は明確に自覚できるのですが徐々に変る時は以前との差を自覚できないということです。
自分の体調のチェックポイントを持っている人なら認識もできますが殆どの人はそうでは有りません。
体調が悪い状態なのに自覚も無いと、悪い体調を普通としてここが平均の基準ラインとして良くなった様に錯覚してしまいます。
徐々に悪くなる時は悪化してる認識は持ちづらくいつもの体調と勘違いしてしまいます。
逆に徐々に良っている時も実質的体調は上向いているのに自覚としてはいつも通りと勘違いをします。
良くも悪くも大きく身体に変化がないと自覚としての変化が認識できないものです。
疲れたとかシンドイとか、すごく楽になったとか、スッキリした等ハッキリ感じられる時以外は自分は普通だと思っています。
つまり右肩下がりで体調が落ちて行くと以前と同じ体調と思っても実はかなり悪化している訳です。
そのせいか殆どの人は実年齢より相当若い頃の自分をイメージしているもので「前はここを押して貰ったらスグに治った」と「一回で治ったの?」と聞くと「一週間毎日通った」そこで「何歳ぐらいの時?」と聞くと「二十歳ぐらいだった」と70歳ぐらいの御婦人に言われたことが有ります。
これは極端な例で多少話が脱線していますが治った事が非常に強い印象的だったのでしょう。
ある意味これも成功体験として歳の隔たりを超えて同じ症状なら同じ治療法で治るものだと刷り込まれてしまっているのかもしれません。 そのせいで今の自分に合う治療法は若い時とは違うとは思えないのでしょう。
このように自分の身体の現在位置は正しくは把握していないものです。
次回もこの話の続きをします。
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